滋賀県と三重県との県境に長々とそびえたつ鈴鹿山脈。その中で日本200名山になっている御在所岳(1,212m)に行ってきました。
麓の温泉街から山頂までロープウェイとリフトで行けるお手軽な山として人気です。以前は「観光地化された山なんか登る価値なし」と思っていたのですが、NHKの番組「グレートトラバース3」を見ていたら、登山中に岩登りと奇岩を楽しめるというので、ワクワクして行ってきました。
遭遇した奇岩の数々がこれら。
地蔵岩。誰かが積んだわけではないです。これが自然にできたものだとはウソみたいです。
石門。
名称不明。
ゆらぎ岩。巨岩が積みあがっていて、下から見上げると左端の岩がいかにも落ちそうでした。
藤内壁。ロッククライミングの名所で、遠目ながら2名登っている人をみました。いくらなんでも危なすぎて私は行く気にはなりません。
荒々しいだけでなく、可憐な高山植物も見ることができました。上から、イワカガミ、タテヤマリンドウ、アカヤシオ。
久しぶりに登りがいのある山で楽しめました。
下山後は酒蔵巡りをしたかったのですが、GW真っ只中だったので近所の酒蔵はみんな休業でした。ロープウェイの売店で地元のお酒が売っていたものの、温度管理が不安でパス。
ググってみたら、車で10分で行ける場所に道の駅菰野があることがわかったので、行ってみました(道の駅には地元のお酒が置いてあることが多いので)。日本酒コーナーでパッと目に飛び込んできたのがこの説明書き。幻の米を若手が復活させたというフレーズにすごく惹かれました。
買おうと思って瓶を持ったらカラでした。「商品はどこだ?」と探したら「品質管理のために商品は冷暗所で保管しています」という説明書きを発見。安心感を持って買うことができました。
御在所岳がある菰野町は鈴鹿山系からの豊富な水に恵まれていて稲作に適した土地であり、古くから農業のまちとして発展してきたそうです。
菰野町のサイトや菰野町観光協会のサイトには竹成の歴史について書かれていました。情報をまとめると…。
・竹成地区に住む松岡直右衛門さんが1874年(明治7年)に発見したもの。育てていた品種の中からひとつの穂に330粒も結実している変種を見つけ、その穂をもとに実験栽培を繰り返し、1877年(明治10年)にその特性の定着に成功した。
・茎が短く従来の品種に比べると多くの収量が見込めて品質も良かったことから1907年(明治40年)頃には栃木県や京都府まで広まったが、病気への耐性が弱かったため、大正期には急減した。
・しばらくの期間、生産者がおらず、過去の品種として忘れ去られていた。
・2005年(平成17年頃)から町内の生産者や関係者が力を合わせて町独自の品種を蘇らせようと取り組みを開始した。
・地元米復活のため県と町の共同プロジェクトが2011年に開始。品種改良等重ねて数年前から町内で収穫が始まり小粒で香り高い品種に仕上がった。
麓の温泉街から山頂までロープウェイとリフトで行けるお手軽な山として人気です。以前は「観光地化された山なんか登る価値なし」と思っていたのですが、NHKの番組「グレートトラバース3」を見ていたら、登山中に岩登りと奇岩を楽しめるというので、ワクワクして行ってきました。
遭遇した奇岩の数々がこれら。
地蔵岩。誰かが積んだわけではないです。これが自然にできたものだとはウソみたいです。
石門。
名称不明。
ゆらぎ岩。巨岩が積みあがっていて、下から見上げると左端の岩がいかにも落ちそうでした。
藤内壁。ロッククライミングの名所で、遠目ながら2名登っている人をみました。いくらなんでも危なすぎて私は行く気にはなりません。
荒々しいだけでなく、可憐な高山植物も見ることができました。上から、イワカガミ、タテヤマリンドウ、アカヤシオ。
久しぶりに登りがいのある山で楽しめました。
下山後は酒蔵巡りをしたかったのですが、GW真っ只中だったので近所の酒蔵はみんな休業でした。ロープウェイの売店で地元のお酒が売っていたものの、温度管理が不安でパス。
ググってみたら、車で10分で行ける場所に道の駅菰野があることがわかったので、行ってみました(道の駅には地元のお酒が置いてあることが多いので)。日本酒コーナーでパッと目に飛び込んできたのがこの説明書き。幻の米を若手が復活させたというフレーズにすごく惹かれました。
買おうと思って瓶を持ったらカラでした。「商品はどこだ?」と探したら「品質管理のために商品は冷暗所で保管しています」という説明書きを発見。安心感を持って買うことができました。
御在所岳がある菰野町は鈴鹿山系からの豊富な水に恵まれていて稲作に適した土地であり、古くから農業のまちとして発展してきたそうです。
菰野町のサイトや菰野町観光協会のサイトには竹成の歴史について書かれていました。情報をまとめると…。
・竹成地区に住む松岡直右衛門さんが1874年(明治7年)に発見したもの。育てていた品種の中からひとつの穂に330粒も結実している変種を見つけ、その穂をもとに実験栽培を繰り返し、1877年(明治10年)にその特性の定着に成功した。
・茎が短く従来の品種に比べると多くの収量が見込めて品質も良かったことから1907年(明治40年)頃には栃木県や京都府まで広まったが、病気への耐性が弱かったため、大正期には急減した。
・しばらくの期間、生産者がおらず、過去の品種として忘れ去られていた。
・2005年(平成17年頃)から町内の生産者や関係者が力を合わせて町独自の品種を蘇らせようと取り組みを開始した。
・地元米復活のため県と町の共同プロジェクトが2011年に開始。品種改良等重ねて数年前から町内で収穫が始まり小粒で香り高い品種に仕上がった。
・その復刻米を多くの方に知ってもらおうと始めたのが日本酒造り。
お米の復活にかける熱い思いを感じます。
その復活に一役買ったのが、菰野町のお隣、四日市市にある伊藤酒造です。
創業は1847年(弘化4年)。農業に携わっていた創業者が、『米の蔵』の名を冠する佐倉村で酒を作りたいと思ったのが契機だそうです。鈴鹿山脈から流れ出した伏流水を使って仕込んでいます。
竹成が菰野町のお米を使って、鈴鹿山脈の水を使ったお酒だと知ると、御在所岳を登った余韻に浸るにはピッタリだと思いました。
封を開けると、吟醸香とは違い、ガツンと来る力強い香りがします。熟成酒のような香りをやや感じました。口に含むと酸味と旨味がジュワッときて、熟成酒のような苦味もほのかに感じます。生貯蔵酒なので寝かせている間に味わいが加わったのかも。
ここ2本、「味がシンプルでおいしい」お酒を飲んだので、久しぶりに深みと面白さがある味わいのお酒を飲めて楽しいです。
お米の復活にかける熱い思いを感じます。
その復活に一役買ったのが、菰野町のお隣、四日市市にある伊藤酒造です。
創業は1847年(弘化4年)。農業に携わっていた創業者が、『米の蔵』の名を冠する佐倉村で酒を作りたいと思ったのが契機だそうです。鈴鹿山脈から流れ出した伏流水を使って仕込んでいます。
竹成が菰野町のお米を使って、鈴鹿山脈の水を使ったお酒だと知ると、御在所岳を登った余韻に浸るにはピッタリだと思いました。
封を開けると、吟醸香とは違い、ガツンと来る力強い香りがします。熟成酒のような香りをやや感じました。口に含むと酸味と旨味がジュワッときて、熟成酒のような苦味もほのかに感じます。生貯蔵酒なので寝かせている間に味わいが加わったのかも。
ここ2本、「味がシンプルでおいしい」お酒を飲んだので、久しぶりに深みと面白さがある味わいのお酒を飲めて楽しいです。
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